ログイン深夜一時過ぎ。
寝る前にスマホを充電器につないだ瞬間、通知音が鳴った。 千春からだった。 「助けて」 短い一言。 絵文字も句読点もない、生々しいメッセージ。 私はすぐにトーク画面を開こうとした。 だが、画面には“送信中…”の文字が点滅したまま、メッセージが読み込まれない。 既読もつかない。 アプリを閉じても、再起動しても同じだった。 その後も通知は続いた。 「来た」 「ベランダ」 「入ってくる」 どれも“送信中”のまま固まっている。 私は震える指で電話をかけたが、呼び出し音が一度鳴っただけで切れた。 眠れないまま朝を迎えた。 翌日、会社に向か深夜一時過ぎ。 寝る前にスマホを充電器につないだ瞬間、通知音が鳴った。 千春からだった。 「助けて」 短い一言。 絵文字も句読点もない、生々しいメッセージ。 私はすぐにトーク画面を開こうとした。 だが、画面には“送信中…”の文字が点滅したまま、メッセージが読み込まれない。 既読もつかない。 アプリを閉じても、再起動しても同じだった。 その後も通知は続いた。 「来た」 「ベランダ」 「入ってくる」 どれも“送信中”のまま固まっている。 私は震える指で電話をかけたが、呼び出し音が一度鳴っただけで切れた。 眠れないまま朝を迎えた。 翌日、会社に向かう途中で、別の友人から電話が入った。 「千春、亡くなったって……」 頭が真っ白になった。 深夜一時半頃、自宅マンションのベランダから転落したという。 警察は事故として処理しているらしい。 私は震える手でスマホを取り出し、美咲とのトーク画面を開いた。 その瞬間── すべてのメッセージに一斉に既読がついた。 固まったままの“送信中”が、まるで誰かが一気に読み上げたかのように消えていく。 そして、新しいメッセージが届いた。 「次はあなた」 私は息を呑んだ。 画面が勝手にスクロールし始める。 千春との過去の会話が高速で遡られていく。 最後に止まったのは、数ヶ月前のやり取りだった。 千春「最近、
団地の朝は、毎日同じ匂いがする。 味噌汁。 洗濯洗剤。 どこかの家の焼き魚。 小学五年生の美咲は、その匂いを吸い込みながら玄関を開けた。 「いってきます」 「いってらっしゃい」 母・良子は笑っていた。 いつもの笑顔だった。 ──その日までは。 学校から帰ると、母は台所でコロッケを揚げていた。 「おかえり」 笑っている。 夕飯のときも。 「今日はテストどうだった?」 笑っている。 夜、テレビで芸人が転んでも笑っている。 ニュースで事故が流れても笑っている。 父が仕事で叱られたと話しても笑っている。 同じ笑顔。 同じ口の形。 同じ目。 まるで写真だった。 美咲は首をかしげた。 (お母さんって……こんな笑い方だったっけ。) 翌日も。 その翌日も。 母は笑っていた。 近所のおばさんが転んでも。 スーパーで財布を落としても。 包丁で指を切って血が流れても。 「大丈夫よ」 笑ったままだった。 赤い血が白いエプロンを染めても、眉一つ動かさない。 美咲の背中を冷たいものが這った。 夜。
浴室の鏡に、それを見つけたのは半年前のことだ。 左肩に滲んだ、茶色い染み。指でこすっても消えない。よく見ると、線が不自然に折れ曲がっている。ひらがなの「じ」に、見えなく もなかった。 気のせいだ、と思うことにした。 けれど体は、こちらの都合など聞いてくれない。気づけば二の腕に、胸に、うなじに──増えていた。数えるのをやめた頃には、もう身体中が薄い文字の下書きのようになっていた。 皮膚科では「アレルギーでしょう」と言われた。二軒目では「ストレス性の色素沈着」。三軒目の医者は、聴診器を当てながらこちらの目を見ずにこう言った。「痣に文字が見えるというのは、よくあることです。人間の目は、意味を探してしまう生き物なので」 そう言われて、少し安心した自分が悔しかった。 夜、電気を消した部屋で、体中の文字を紙に書き写す作業だけが習慣になった。順番はわからない。意味もわからない。ただ、増え続ける文字の数だけが、自分がまだ「読み切れていない」ことを教えてくれた。 紙の上で文字を組み替える。じ、こ、が──幾晩も睨み続けたそれが、ある夜ふいに、文になった。 じこが おきるまえに にげて 事故が、起きる前に、逃げて。 読めた瞬間、部屋の奥でガス警報器が鳴った。考えるより先に体が動いていた。裸足のまま玄関を飛び出し、階段を駆け下りる。背後で、鈍い爆発音。 助かった。 そう思ったのは、一瞬だった。 翌朝、避難先で借りた服の袖をまくると、右 手の甲に新しい染みが浮かんでいた。まだ輪郭も薄い。けれど、なぜだろう。この文字が何と読めるのか、もう分かる気がした。 ──違う。分かるんじゃない。 読ませてもらえているのだ。 必要な時に、必要な分だけ。逃げる場所も、 逃げ
祖母の家は、山あいの小さな集落にあった。夏休みのたびに、私はそこで過ごした。 家の裏には、もう使われていない古い井戸があった。分厚い木の蓋がされていて、祖母は「絶対に開けてはいけない」と、子供の頃から繰り返し言い聞かせていた。 「なぜ?」と尋ねると、祖母は決まって同じ話をした。 「昔からこの井戸には、水位が上がる時があってね。誰も水を足していないのに、ひとりでに満ちてくるんだよ。誰かが死ぬ前になると、必ず」 子供だった私は、それを古臭い迷信だと思って笑っていた。 高校生になったある年の夏、祖母の様子が明らかにおかしかった。毎朝、井戸の蓋をそっと持ち上げては中を覗き込み、また音もなく閉める。顔色は青白く、私が理由を尋ねても、何も答えなかった。 八月も終わりに近づいたある夜、私は好奇心に負けて、ひとりで井戸に近づいた。ひんやりとした空気が足元から立ちのぼる。蓋を持ち上げ、懐中電灯の光を差し入れた。 水面は、縁のすぐ近くまで来ていた。息を止めて覗き込む。まるで、あと少しで溢れ出しそうなほどに、黒く静かに満ちている。 光の中、水面に自分の顔が映った。ゆらりと揺れて、歪んで──それは、笑っていた。私の知らない笑い方で。 私は蓋を音を立てて閉め、逃げるように家へ駆け戻った。 その夜遅く、祖母は眠るように、苦しむことなく息を引き取った。
最初にあの音に気づいたのは、由紀の四十九日が終わって三日目の夜だった。 いや、正確に言えば「気づいた」のではない。無視できなくなった、というほうが近い。布団の中で目を閉じると、右耳の奥で 「キィィン」という高い音が鳴っている。それ自体は珍しいことではなかった。疲れた日にはよくあることだと、これまでは気にも留めなかった。 だがその夜の音は、どこか違っていた。 鳴ったかと思うと、ふっと途切れる。また鳴る。また途切れる。 ──ツー、ツー、ツー、トン、トン。 まるで誰かが、耳の奥で指を鳴らしているような、意志を感じる間の取り方だった。 由紀は隣町に住む従妹だった。三つ年下で、子供の頃はよく二人でかくれんぼをした。彼女は隠れるのがうまく、探しあぐねて泣きそうになると、決まって壁の向こうから小さく指を鳴らして居場所を教えてくれた。コン、コン、コン、と。あの音を聞くと、いつも安心した。 由紀が消えたのは三年前だった。ある日突然、隣町のアパートから姿を消し、警察の捜索も虚しく、手がかりひとつ見つからないまま時間だけが過ぎていった。家族はいつしか「もう帰ってこない」ことを前提に話すようになり、先月、区切りをつけるためだけの葬儀が営まれた。骨のない棺だった。 その三日後から、耳鳴りが始まった。 一週間経っても、二週間経っても、音は消えなかった。耳鼻咽喉科を三軒回ったが、どこでも同じだった。鼓膜に異常なし。聴力に問題なし。ストレスでしょう、と医師は判で押したように言い、薬を出した。薬は何も変えなかった。 変わらなかったのは、音のリズムだけが、日を追うごとに規則正しくなっていったことだ。
沙耶とは、大学の入学式で隣の席になったのがきっかけだった。それから十年、就職も、恋愛の失敗も、引っ越しも、いつも先に報告し合う仲だった。連絡が少し途絶えても不安にならない。そういう安心感のある友人が、美咲にとっての沙耶だった。 最後にやり取りしたのは、九月の終わりだった。 「今度こそ会おうね」 沙耶からのその一言に、美咲は「うん、絶対!」とスタンプを添えて返した。それが最後になるとは、思いもしなかった。 三日後、沙耶と連絡がつかないと共通の友人から連絡があった。一週間後、警察に捜索願が出された。一ヶ月経っても、沙耶は見つからなかった。 それでも、美咲は送り続けた。 「元気にしてる?」 「心配してるよ」 「誕生日おめでとう。どこにいてもいいから、これだけは伝えたくて」 返事は来ない。けれど、既読はつく。 最初は気にしていなかった。スマホが誰かの手に渡って、勝手に開かれているだけだろうと思っていた。警察にも伝えたが、通信会社の記録では「圏外」のままだと言われた。圏外なのに、既読だけはつく。それが何を意味するのか、誰にも説明はできなかった。 美咲はある日、ふと気づいた。既読がつく時刻を記録してみようと思ったのだ。 十一月三日、午前七時十二分。美咲が目を覚ました時刻。 十一月三日、午前八時三